文芸と人間

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平成13年9月10日実施。試験時間は50分。
解答用紙はB4、1枚。問題と同じ用紙。
なお、教科書は「故事成語」(講談社現代新書、合山究著)が指定されていました。


 この対プリの構成
  前半 授業中のノート(儒家と道家の相違)
  後半 故事成語(授業で配られたプリントに掲載されたもの)
     調べられる限り意味と由来も掲載。
     故事成語についての文章は合山先生執筆の「故事成語」などを参考にしました。
  試験問題はこの両者から出題されました。
 時間の都合により、調べ切れていませんが、知りたい人はご自分で調べて下さい。

 人生をいかに生きるか
  「故事成語」にあらわれた人間の諸相
    心を鍛える
    自分で考える力を養う
    人生に強くなる
    人間をよく知る
 成語によって人生の多様性・相対性を認識する
  「人心之不同如其面」(人心の同じからざるは其の面の如し。)〈春秋左氏伝〉
     人の心がみな同じでないのは、人の顔がみな同じでないことと同じ。
  「彼亦一是非、我亦一是非」(彼も亦一是非、我も亦一是非。)〈荘子 斉物論篇〉
     苦悩は「差別感」(利害・好悪の念)によって生まれる。 「対」という考え方
     これに対しこの言葉は、「万物斉同」(全てのものはみな同じ・絶対的価値は存在しない)という考え方を示した。
  「報怨以徳」(怨みに報ゆるに徳を以てす。)〈老子63章〉 ←→
  「以直報怨」(直を以て怨みに報ゆ。)〈論語〉 直=正しさ
  「日計不足歳計有余」(日計すれば足らず、歳計すれば余り有り)〈荘子 庚桑楚篇〉
 無用之用〈荘子 外物篇など〉 ←→ 有用(儒家)世のため・人のためになること
  老荘思想の代表的なもの
   恵子(名家の雄弁な思想家)との討論にて
  恵子 君の言っていることは何の役にも立たないではないか。
  老子 役に立たないと知ることによって役立つと言うことを知ることができるのだ。
     地面は広いが人間の役に立つのは立って歩くところだけだ。では歩くところ以外を奈落の底まで掘り下げたらどうかね。
     役に立たないと思われるものこそ有用なのだ。
    役に立つものは酷使され、やがて捨てられてしまう。(木であれば用材として伐られてしまう。)
    役に立たないもの(不材の木)は自由に育ち、やがて大木となる。
   今役立つと思うことのみを大切にすることへの戒め
→ 将来何が役に立つといわれるようになるか分からない。
 「寧為鶏口不為牛後」(寧ろ鶏口と為るも牛後と為らず。)〈戦国策、史記など〉
 「畏影而走」(影を畏れて走る。)〈荘子 漁夫篇〉 → 孔子批判(孔子は全力で人生を駆け抜けていると指摘。)
   影を畏れ、足跡を嫌うものがいた。これらから逃げようと走ったが、足跡は増え、影はますますぴったりとついてくる。
   そこでさらに走るスピードを上げ、ついには死んでしまった。
   この男は、日陰に入ってゆっくりと休み、影を休ませ足跡をなくすことを思いつけばよかったのだ。

儒家と道家の思想的相違を中心として、人生の多様性、相対性を理解する
 孔子(紀元前552〜479) 「長人」身長2メートル?
  諸侯・卿・大夫(たいふ)・士・庶民という階級の中で、士の最上位、士大夫という階級にあった。
  「諸子百家」の時代(儒家・墨家・名家・道家・法家・陰陽家・農家・兵家・雑家・縦横家・小説家)
  漢代には儒家・道家に代表されるようになり、その後仏教が入る。
  5世紀ごろには、儒教・道教・仏教の「三教鼎立(ていりつ)」となった。
 儒家と道家の思想構造の相違
1.思想の根底をなす「道」の相違
(儒)日常生活・社会生活上の規範・倫理・徳目 仁・義・礼・知・忠・信・孝・悌
  (道)宇宙の根元・万物の始源 ― 擬人化 → 創造者(主)、造物主、造化
     人間の知覚・恣意などを超越した不可視・不可測のもの
  ○学問は
   (儒)人間社会中心
   (道)大自然・大宇宙(×自然美 人間と対比させた自然・宇宙である。)
      「与天為徒、与人為徒。」(天と徒と為る、人と徒となる。)〈荘子〉
       道家は天と仲間となり、儒家は人と仲間となる。という意味で、儒家批判の1つである。
○時間は
 (儒)現存在中心            現象的 結果を重視
 (道)永遠の時間の中で人間存在を見る  根元的 原因・動機を重視

2.人生観の相違
(儒)楽観的・肯定的…人生に価値あり。世のため、人のために努力する。
           立派な人間になる。自己完成を目指す。
(道)悲観的・否定的…人生は苦悩と憂愁に満ちたもの
           人生は一場の大夢である、悪夢である。
   「以死生為一条」(死生を以て一条と為す。)
     「知死生存亡之一体」(死生存亡の一体を知る。)   生と死を一つと見なす。
     苦悩の原因は差別感による。   不合格よりは合格、敗北よりは勝利など。
     苦悩からの救済 @自然随順(ずいじゅん)→大自然・運命への随順・委順
               A万物斉同(の理)→全てのものはみな同じである。

3.理想的人物像の相違
(儒)@聖人 孔子が聖人と見なした者 堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う・夏の国王)・
(いにしえの聖王たち) 湯王(とうおう・殷)・文王・武王(周)・周公(旦)
                         (周公旦はとりわけ高評価)↓
                         孔子の出身国魯は、周公の子孫が封ぜられた国。
          のちに聖人=孔子とされる。
     A君子(仁者・知者) 礼を身につけた立派な人・指導者となり得るような人。
  (道)@真人(神人)・至人・聖人 藐姑野(はこや)の山の神人→爪の垢からでも堯舜が生み出せる。
     A極端な愚者・不具者・醜怪極まりない人間
      「枯木死灰(こぼくしかい)のごとき人物」「醜男の最たる哀駘它(あいたいだ・人名)」
      「足切りの刑にあった王駘(おうたい・人名)」「大きなこぶだらけの男」

4.男中心の思想・女中心の思想
(儒)「唯女子与小人、為難養也。近之則不孫(=不遜)、遠之則怨。」
   (唯だ女子と小人とは、養い難しと為すなり。之を近づくれば則ち不孫、之を遠ざくれば則ち怨む。)
   剛・勇といったものは男性の気象(気性)
   「剛毅木訥(=朴訥)近仁」(剛毅木訥(ごうきぼくとつ)仁に近し。)
   「志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁。」
(志士仁人は、生を求めて以て仁を害する無く、身を殺して以て仁を成す有り。)
「見義不為、無勇也。」(義を見て為さざるは、勇無きなり。)
  (道)「知其雄、守其雌、為天下谿。為天下谿、常徳不離復帰於嬰児。」
     (其の雄を知り、其の雌を守れば、天下の谿(たに)と為る。天下の谿と為り、常に徳離れず…。)
     「谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地之根。」
     (谷神(こくしん)死なず。是を玄牝(げんぴん)と謂ふ。玄牝の門は、是天地の根と謂ふ。)
     「柔弱勝剛強」(柔弱は剛強に勝る。)
     道教の神様には女性も多い。
      歴世真仙体道通鑑  男仙 779人  女仙 120人(西王母(せいおうぼ)など)

5.教育観・学問観の相違
(儒)学問重視 文化主義
   学問=六藝(りくげい・礼・楽・射・御・書・数)
    それに加え、道徳(仁・義・礼・知・忠・信・孝・悌…)・徳目をまとめる。
     人類の教師「性相近也、習相遠也。」(性(=本性)は相近きなり(=似ている)、習いは相遠きなり。)
          「有教無類。」(教え有らば類(=種類・家柄)無し。)
          「学而不厭、誨人不倦。」(学んで厭はず、人を誨えて倦(う)まず。)
          「唯上知与不愚不移。」(唯だ上知と不愚とは移らず。)
          「不曰如之何、如之何者、吾未如之何也已矣。」
          (之を何如(いかん)せん曰はざるものは、之を何如せんと、吾未だ之を何如ともせざるのみ。)
  (道)「忘」が重要。坐忘、忘我、忘言、忘生…
     「絶学無憂」(学を絶てば憂い成し。)〈老子第20章〉 そうしないと虚偽・虚飾がはびこる。
     「為学日益、為道日損、損之又損、以至於無為。」〈老子第48章〉
     (学を為せば日に益す(儒家)、道を為せば日に損す(道家)、之を損して又損し、以て無為に至る。)
     「無為名尸、無為謀府、無為事任、無為知主」〈荘子 応帝王篇〉
     本性を喪う→復帰する
     「鄙朴(ひぼく)」「枹朴(ふぼく)」「樸(しらき)に復帰す」「知の知らざるところを養う。」

6.言語(言葉)、主義主張、是非善悪の判断、意見・見解
@ 言語観
  (儒)言行一致 → 慎重、責任、信頼
     「言必信、行必果。」(言えば必ず信あり、行えば必ず果たす。)〈論語 子路篇〉
     「君子欲訥於言敏於行。」(君子は言に訥(とつ)にして行いに行いに敏ならんと欲す。)
   「巧言令色鮮矣仁。」(巧言令色鮮(すく)なきかな仁。)〈論語 学而篇〉
  (道)言葉に対する徹底的な不信、不正確・相対的なもの  沈黙を良しとする。
     人の語る言葉や見解はそれぞれの立場、好悪、利害から発せられたもので絶対的真理にはほど遠い。
     「知者不言、言者不知」〈老子第56章〉  「大弁若訥(大弁(たいべん)は訥(とつ)なるがごとし。)」
     「能勝人之口不能服人之心。」〈荘子 天下篇〉  「至言不去」〈荘子 知北遊篇〉
A 主義主張
  (儒)儒家思想に合致したものを是とし、他を否とする。
     「悪紫之奪朱也。」(紫の朱を奪うを悪(にく)む。)
     「道不同不相為謀。」(道同じからざれば相為に謀らず。)〈論語 衛霊公篇〉
  (道)すべて相対的俗見である。
     全ての価値を統一止揚した絶対的立場―「道」「自然」「恍惚」「一」「道樞」「葆(つつむ)光」
B 文学・芸術観
  (道)沈黙の美「無弦の琴」  技術・武術・芸術 修練の果ての自然・沈黙

7.政治に対する態度の相違
  (儒)世の為、人の為に政治に参画し、自らの経綸(けいりん)、抱負を実現(実践)する。
     徳治主義「人治」←→「法治」  立派な人物を登用して人民を教化し、人民の文化的、
道徳的レベルを向上させ、それを以て政治秩序にかえる。  礼(楽)によって
     「君子之徳風也。小人之徳草也。草上之風必偃。」〈論語 顔淵(がんえん)篇〉
     (君子の徳は風なり。小人の徳は草なり。草之に風を上(くわ)ふれば必ず偃(ふ)す。
     「使臣如承大祭。」(臣を使うに大祭に承(つか)ふるごとくす。)〈論語 顔淵篇〉
     「視民如傷」〈孟子〉
     「子曰、『巍巍乎、舜禹之有天下也、而下与焉。』」〈論語 泰伯篇〉
     (子曰く、「巍巍(ぎぎ)たるかな、舜禹(しゅんう)の天下を有(たも)つや、
而(しか)して与(あずか)らず。」と。)
     「子曰、『大哉、堯之為君也。』」(子曰く、「大なるかな、堯の君為るや。」と。)
     「子曰、『無為而治者、其舜乎夫何為哉。恭己正南面而巳矣。』」〈論語 衛霊公篇〉
 ※皇帝はいつも南を向いて座った。
     有為自然によって無為自然の境地を目指す。
  (道)強制・支配・服従のない社会 君臣関係・上下関係のない社会
     「政治」を行わないことを徹底させる。→「無為の政治」 人間相手ではなく天を相手にする政治、一切の政策を用いない徹底的な不干渉。
     究極は無為自然。徹底的な無為自然によって実行しようとする。
     荘子 天道篇など

8.社会への貢献 地位・名誉などに対する態度
(儒)「名」「聞」を重視
     上昇・出世意識、名誉・出世・権力欲
     「君子疾没世而名不称焉。」(君子は世を没し名の称せられざるを疾(にく)む。)〈論語 衛霊公篇〉
     「後世可畏。」(後世畏るべし。)
     「四十五十而無聞焉斯亦不足畏也已。」
     (四十五十にして聞こえること無くんば斯(これ)亦畏れるに足らざるのみ。)
       40・50歳になっても名声のない人はもうだめである。
  (道)社会的功績を求めない。低い地位につく。
     下降・離世意識、利己主義、無責任、保身的な老獪(ろうかい)さ
     「不敢為天下先。」(敢へて天下の先に為らず。)〈老子 第67章〉
     「勇於敢則殺、勇於不敢則活。」〈老子 第73章〉
     「不敢進寸而退尺。」(敢へて寸を進まずして尺を退く。)〈老子 第67章〉
       少し後ろにいって守った方がよい。
     「曳尾於泥(塗)中。」(尾を泥中に曳く。)〈秋水〉 ← 神亀(しんき)
     荘子 「無名」の価値
     「為善無近名。」「無感其名。」「無為名尸。」

9.「用」(役立つこと)についての考え方
無用の用←→有用の用
(儒)六藝+道徳=君子
   「時用則存、不用則亡。」〈荀子賦篇〉
(道)「散木」(←→「文木」) 「不材(才)之木」
   「人無棄人、物無棄物。」〈淮南子〉
   老子 → 空の器の方がよい → 悪い人間はよい人間が学ぶ材料

10.「礼」についての考え方
古代の社会生活や個人生活を秩序づける慣習やしきたり
制度や決まり、儀式作法などの総称。 「礼記(らいき)」
(例)「孝」…生前の孝養と死後の孝養 @葬儀 A服喪(両親は3年)B祭礼(法事)
道家は徹底的に否定。
老子第38章・荘子至楽篇(荘子の妻の死)など
荘子自身の葬祭について→死は安らかなる眠り

11.行動様式・生活態度の相違
   (儒)進取的、楽観的、上昇意識、直・剛、勤勉、自制心「克己復礼」、自己完成を目指す。
      「習性と為る。」〈諸経〉、「君子以自強不息。」(君子自強を以て息(や)めず。)自分を鍛えることを
やめない、目的的、「書(画)地而趨。」(地に書きて趨る。)、行動に対する責任
      「過而不改是謂過矣。」(過(あやま)ちて改めざる是を過ちと謂ふ。)
      「過則勿憚改。」(過ちては則ち改むるに憚(はばか)ること勿なれ。)
   (道)退嬰的、悲観的、下降意識、曲・柔、
      「弱其志、強其骨。」(其の志を弱くし、其の骨を強くす。)欲望(野心)を抑え骨をつくる。
〈老子 第3章〉
      「天下之至柔(しじゅう)馳騁(ちてい)天下之至堅(しけん)。」〈老子 第43章〉
(天下の至柔(最も柔らかいもの)は天下の至堅を馳騁す。)
      怠惰、気まま、自然に生きる、抑制されない、無目的的
      「為無為、事無事、味無味。」(無為を為し、無事を事とし、無味を味わふ。)〈老子 第63章〉
      人生は「遊び」である。〈荘子 逍遙遊(しょうようゆう)篇〉
      「遊戯人間。」(人間(じんかん)に遊戯す。)
      「畏影而走。」(影を畏れて走る。)
      気…万物生成のもと
      放浪 「尚子平(しょうしへい・人名)、游名山不知所終。」
         (尚子平、名山に游(あそ=遊)びて終ふる所を知らず。)
      老子―復帰の思想 「嬰児に復帰す。」 (本性へ・古代へ)帰る。
      荘子―往く

12.人間のタイプ
     儒家型 孔子型、孟子型
   道家型 老子型、荘子型
     法家型 …
    空海の「三教指帰(さんごうしいき)」

13.「天」―「人」  人間・人類←→鳥獣
    「与人為徒」(人と徒と為る。)←→「与天為徒」(天と徒と為る。)〈荘子〉
    「非斯人之徒与而誰与」〈論語 微子篇〉
    孔子の造語?天のつく孔子の文中にある熟語
     天遊、天鈎(てんきん・はかりのこと)、天刑=天之戮(りく)民、天光(天幸、天行)
    「天之小人、人之君子。人之君子、天之小人。」
    「無為而尊者、天道也。有為而累而、人道也。」
(無為にして尊き者は、天道なり。有為にして累(おびただ)しき者は、人道なり。)
    天楽―人楽  天損―人益 天益―人損

14.その他(色調・カラー)
   (儒)曇りなき晴天、皓々(こうこう)たる月夜、明々白々
      「君子之過也、如日月之食焉」(君子の過(あやま)つや、日月の食する(日食・月食)が如し。)
    「視思明。」
   (道)「視而不見、聴而不聞。」(視るにも見えず、聴くにも聞こえず。)
     「恍兮惚兮。」(恍(こう)たり惚(こつ)たり。)  「窈兮冥兮。」(窈(よう)たり冥(めい)たり。)
     「玄之又玄。」  「明道若昧。」(明道昧(くら)きがごとし。)  ※玄=あいまいな黒

先秦時代(春秋末期〜戦国時代)
  諸子百家はみな弱小国家のインテリ浪人。
  「今世珠死者。相枕也。桁楊者相推也。刑戮者相望也。」〈荘子 在宥篇〉
  (今世珠死(しゅし=死刑)者相枕するなり。桁楊(こうよう=手かせ、足かせ)者相推すなり。
   刑戮者(けいりくしゃ=刑を受ける人・受け死ぬ人)相望むなり。)
 残酷な現実の救済
 思想家の出身地
  孔子―魯(周公旦(しゅうこうたん・旦が名前・周の建国者の1人で武王の弟)の子孫が封ぜられた国。)
       周の文化伝統(礼)は魯にしか残っていなかった。
  老子―不明
荘子―宋(殷王朝の子孫の国)
   宋人→「守株」にみられる変人の国
   ニヒリズム・ペシミズム→周りから変な目で見られる。


人心如面(人心之不同、如其面)(人心面(おもて)のごとし。(人心の同じからざる、其の面のごとし。))
 人の心が同じでないのは、人の顔がそれぞれみな違うのと同じことである。

彼亦一是非、我亦一是非(彼も亦一是非(ぜひ)、我も亦一是非。)
 相手にも自分にも一長一短がある。

以言不挙人、以人不廃言(言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず。)〈論語 衛霊公(えいのれいこう)篇〉
 よいことを言ったからといって、人を挙用することはなく、人柄が悪いからといって、その人の言葉を全て退けることはしない。

報怨以徳(怨みに報ゆるに徳を以てす。)〈老子 第63章〉
 人からひどい仕打ちをされた場合でも、恨みで報いないで恩徳で報いること。

畏影而走(影を畏れて走る。)〈荘子 漁夫篇〉
 自分の影を畏れ、自分の足跡をいやがって逃げ出した男が、走れば走るほど、影がピッタリとくっついてくるので、
 懸命に走ったが、ついに力つきて死んでしまったという、愚かな男の話から生まれた成語。
 荘子が巧妙を求めて必死に努力している孔子の生き方を批判して用いたたとえ話とされる。

日計不足、歳計有余(日計すれば足らず、歳計すれば余りあり。)〈荘子 庚桑楚篇〉
 目先の利益はなくても、長い期間では利益があがること。無計画でよいというわけではないが、
 細かく予算を立ててけちくさく過ごしても、それによって生活が束縛を受け、大きなところで破綻をきたすようなことに
 なれば、元も子もなくなる。人生もまたしかりである。人生では、最後に余得があれば、それでよいのだというほどの意味。

寧為鶏口、不為牛後(寧(むし)ろ鶏口と為るも、牛後と為らず(為るなかれ)。)〈戦国策・史記〉
 むしろ鶏の口となるとも、牛の尻(肛門)になるなということから、転じて、大きな団体の中で卑小の地位に
 つくよりも、小さな団体でも自分で取り仕切る方がよい、規模や局面の大きなところで人の支配を受けるよりも、
 小さなところでも自分で取り仕切るほうがよいという意味でよく用いられる。

遊戯人間(人間に遊戯す。)

自然随順(ずいじゅん)
 自然に従ってさからわない。

万物斉同之理(万物斉同(せいどう)の理(ことわり)。)
 この世のすべてのものは同じであり、差はないのだという考え方。

殺身成仁(身を殺して仁を成す。)〈論語〉
 自分の一身を犠牲にして、世のため人のためにつくす。

柔弱勝剛強(柔弱は剛強に勝る。) (類)柔よく剛を制す。

見義不為、無勇也(義を見て為さざるは、勇無きなり。)〈論語〉
 人としてなさねばならないことを知りながら、思いきって行わないのは勇気がないのである。

性相近也。習相遠也(性相近きなり。習ひ相遠きなり。)〈論語 陽貨篇〉
 人の生まれつきは誰でも似たようなものであるが、習慣のいかんによって大きな隔たりを生ずるものである。

絶学無憂(学を絶てば憂ひ無し。)〈老子〉
 学ぶことをやめてしまえば、憂えることもなくなる。

為学日益、為道日損、損之又損、以至於無為
(学を為せば日に益す、道を為せば日に損す、損の又損、以て無為に至る。)

巧言令色、鮮矣仁(巧言令色(こうげんれいしょく)鮮(すく)なし仁。)〈論語 学而(がくじ)篇〉
 巧言令色(上手に話すが、こびへつらい真心のない様子。)の人で人徳のある人は滅多にいない。

君子欲訥於言、而敏於行(君子は言に訥(とつ)にして、行いに敏ならんと欲す。)〈論語 里仁(りじん)篇〉
君子は口べたであっても、素早く実行することを願うものである。

知者不言、言者不知(知る者は言わず、言ふ者は知らず。)〈老子 第56章〉
 真に物事を知っている者は、言葉少なで、やたらにしゃべらない。やたらにしゃべる者は、実は何も知らない。

能勝人之口、不能服人之心(能く人の口に勝るとも、人の心を服(ふく)す能(あた)はず。)
 弁論で人に勝つことはできても、それで相手を心服させることはできない(難しい)。

庖丁解牛(ほうていかいぎゅう)・中肯綮(肯綮(こうけい)に中(あ)たる。)〈荘子 養生主篇〉
 庖丁は人名で、名高い料理人であった。(包丁の語源。)牛の骨と肉とを分けるのがたくみであった。転じて料理人のこと。
 また肯は骨に付いた肉、綮は筋肉の結合したところ。牛などの肉を切り離すとき、刃物がここに
 当たればたくみに切り離せることから、転じて、肯綮は物事の急所・要所をいう。

木鶏(もっけい)〈荘子 達生篇〉
 木製のにわとり。強さを外に表さない最強の闘鶏をたとえる。

視民如傷(民を視ること傷(いた)むがごとし。)
 人民を大切にするという儒家の言葉。

天網恢恢、疎而不失(漏)(天網恢恢(てんもうかいかい)疎(そ)にして失わず(漏らさず)。)〈老子 第73章〉
 天の網は広大で目があらいようだが、すくいもらすことはない。悪人は必ず捕らえられるということ。

治大国、若煮小鮮(大国を治むるに小鮮を煮るがごとくす。)〈老子〉
 大きな国をおさめるには小魚を煮るようにする。小魚を煮るには、その身がくずれやすいから、かきみださないようにする。
 大国をおさめるにも、政治をゆるやかにして自然に任せ、細かな干渉をしないようにせよということ。

木鐸(ぼくたく)〈論語 八?(はちいつ)篇〉
 振り子を木でつくった金属製の鈴。昔法令や教令を人民にふれまわるときに鳴らした。
 転じて、世人を導く指導者のこと。

後生可畏(後生畏るべし)〈論語 子罕(しかん)篇〉
 後進者は年が若くて気力が強いから、学んでやまなければ、その進歩は恐るべきものである。

不敢為天下先(敢へて天下の先と為らず。)〈老子 第67章〉

不敢進寸而退尺(敢へて寸を進まずして尺を退く。)〈老子 第67章〉
 どんどん先に進もうとするよりは、少し後ろに下がって守った方がよい。

曳尾於塗(泥)中(尾を塗(泥)中(とちゅう・でいちゅう)に曳く。)〈荘子 秋水篇〉
 亀は殺されて亀卜(きぼく・亀の甲羅を用いた占い)の用に立てられて尊ばれるよりも、泥田の中で尾を
 引きずってはいまわりながらも、自由にのびのびと生きる方を望むということから、仕官して拘束されるよりも、
 貧しくとも自分の性分のままに気楽に暮らすことをいう。すなわちこれは、名利にとらわれず、自分の心に
 かなった生活をする、自由人の悠々たる生き方を示す言葉として知られている。

無用之用也〈荘子 外物篇〉
 役に立たないとされているものが、かえって大切な役をしたり、取り柄のないものが意味を持ったりすることがある。

人無棄人、物無棄物(人を棄つ人無く、物を棄つ物無し。)

過而不改、是謂過矣。(過ちて改めざる、是を過ちと謂ふ。)〈論語 衛霊公篇〉
 あやまちを犯しても改めない、そのことこそ、真のあやまちである。
 あやまちは改めればあやまちという必要はないとの意味。

過則勿憚改(過ちては則ち改むるに憚ることなかれ。)〈論語 子罕篇〉
 過失を犯した時は、ためらわずすぐに改めよ。

上善如水(上善は水のごとし。)〈老子 第8章〉
 最上の善というものは、水のような低きにおり、万物に恵みを施し、その功を誇らないものである。

天之道、損有余而補不足。人之道、…損不足以奉有余

玄同(げんどう)〈老子 第56章〉
 自分のすぐれた才能をかくして、俗人と交わっていること。差別感を立てないで、万物を同一視すること。

与天為徒(天と徒(と=なかま)と為る。)

天之小人、人之君子。人之君子、天之小人也。(天の小人、人の君子。人の君子、天の小人なり。)

秋波(しゅうは)
 秋の澄んだ水波。転じて、美人の涼しい目もと。また、女のこびる目つき。色目。

月下氷人(げっかひょうじん)〈続玄怪録・晋書〉
 男女の仲を取り持つ人、結婚の媒酌(ばいしゃく)人(仲人)。
 「月下老人」と、「氷人」というほぼ同義の2つの成語が日本において合成されたとされる成語。

偕老同穴(かいろうどうけつ・偕(とも)に老い、穴(はかあな)を同じくす。)〈詩経〉
 夫婦の契りが非常にかたく、ともに老い、同じ墓穴に葬られること。

倣顰(顰(ひそみ)に倣(なら)う。)〈荘子 天運篇〉
 昔呉王夫差(ふさ)の愛人の西施(せいし)が胸を病んで、眉をひそめ、顔をしかめた姿が美しかったので、
 その里の醜婦(しゅうふ)がこれをまねた故事から、善悪の区別なく他人のまねをすることのたとえ。

破鏡(はきょう)
 夫婦が離別すること。昔、夫婦がわかれるとき、鏡を半分にわって各自がその半分の鏡を持った故事から。

有縁千里来相会、無縁対面不相逢(縁有らば千里来て相会(かい)し、縁無くんば対面するも相逢はず。)
 縁があれば千里の距離を隔てていてもいずれ出会うが、無ければすぐそばにいても出会いは起こらないものだ。

糟糠之妻不下堂(糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず。)〈後漢書〉
 糟糠は酒のかすと米ぬかのことで、粗末な食べ物のこと。貧しい時代から連れ添って、粗食を食べながら、
 苦労を共にしてきた妻は、後に出世しても、堂(表座敷)から下におろさぬように大事にし、決して見捨てないということ。

秋扇(しゅうせん)
 秋になって使われなくなった扇。転じて、愛されなくなった女。

比翼鳥(比翼(ひよく)の鳥)〈長恨歌(白居易)〉
 伝説上の鳥。雌雄ともに目・翼が1つずつで、つねに一体となって飛ぶという。常に翼を並べて飛ぶつがいの鳥とも。
 夫婦間の愛情が深いことのたとえ。

連理枝(連理(れんり)の枝)〈長恨歌(白居易)〉
 2本の別の木が幹や枝のところでつながって1つになる。男女のちぎりがかたいことや、夫婦の仲がむつまじいことにたとえる。

傾国傾城(けいこくけいじょう)
 君主が色香に迷って、自分の国をあやうくするほどの女。絶世の美人のこと。
 ※中国の城は日本の城とはイメージが異なる。日本でいう城下町全体を囲む城壁があり、都市全体が1つの城である。

琴瑟相和(琴瑟(きんしつ)相和す)〈詩経〉
 琴は小さな琴、瑟は大きな琴で、これらを合奏すると、音がよく調和することから、「琴瑟相和す」とは、
 夫婦仲がとてもよいことにたとえる。

人面桃花(じんめんとうか)〈本事詩〉
 中唐の文人崔護(さいご)が桃の木の下で見初めた美女を忘れかねて、翌年訪ねてみると居なかったので、
 思慕の情を詠った詩を書き残して帰ったが、あとで女はその詩を見て絶食して死んだ。これを聞いた崔護が
 死体に向かって呼びかけると女は生き返ったという故事から、以前、美人にあった場所で、再びその人に
 会えない意に用いられる。

一日不見、如三秋(一日見ざれば、三秋のごとし。)
 1日見ないのが3年見ていないように長く感じること。

佳人薄命〈薄命佳人(蘇軾・そしょく)〉
 美人は体が弱かったりして、短命なことが多い。(ただし薄命は薄幸の意味も含む言葉である。)

解語(かいご)の花〈開元天宝遺事〉
 「物を言う花」の意味で、美人のこと。唐の玄宗皇帝が楊貴妃を連れて、太液(たいえき)の池において、
 多弁の白蓮をめでる花見の宴席にのぞんでいたときのこと。数本の白蓮がまさに花開き、その美しさは
 たとえようもなかった。大臣たちは皆花の美しさに心を奪われ、口々にそれを褒めそやした。そのとき玄宗は
 楊貴妃を指しながら、「いかに白蓮の花が美しかろうとも、わが愛する解語の花におよぼうか。」と言った。
 この故事に由来する言葉である。

屋烏(おくう)之愛(愛は屋上の烏(からす)に及ぶ。)〈尚書大伝〉
 その人を愛するあまり、その家の屋根の上にとまるからすまで愛すること。偏愛することのたとえ。

覆水不収(覆水、盆に返らず。)〈後漢書〉
 いったん離別した夫婦の仲は元通りにならないこと。転じて、1度してしまったことは、取り返しがつかないこと。

君子之交淡若水。小人之交甘若醴。(淡交)〈荘子 山木篇〉
(君子の交わりは淡きこと水のごとし。小人の交わりは甘きこと醴(り=あまざけ)のごとし。
 君子の交際は水のように淡々としているが、いつまでもかわることがない。
 一方で小人の交際は甘酒のように甘いが、長くは続かない。

季札?剣(季札(きさつ=人名)剣を?(か)く。)〈史記〉
 信義を重んずることのたとえ。(呉の季札が徐の国を通ったとき、徐の王が季札の剣をほしがったので、季札は
 帰りに必ずおくろうと心に決めて旅を続けた。帰途、徐の国に寄ると、王はすでに死んでいたので、剣を
 その墓のそばの木にかけて立ち去った。)

濫吹(らんすい)〈韓非子〉
 斉の宣王は?(う、笛の一種で笙の大きなもの)が好きで、楽士にこれを吹かせるときには、必ず300人で合奏させていた。
 そこで、城南の処士は王のために?を吹きたいと申し出た。宣王は大変喜び、彼に数百人分の
 扶持(ふち)を与えて召し抱えた。やがて宣王が死んで、?王(びんのう)が即位したが、?王は1人1人に
 吹かせて聴くのを好んだ。するとその処士は、いつの間にか姿をくらました。この故事から「濫吹」は、実力の
 ないものが、実力のあるかのように装うこと。資格・才能がないのに、不相応な地位にいることを言う。

尾生之信(びせいのしん)〈荘子 盗跖(とうせき)篇〉
 約束を堅く守ること。また、馬鹿正直なことのたとえ。春秋時代、魯の尾生が橋の下で女とあう約束をし、
 時刻が過ぎても相手が来ないのに、約束を守ってそのまま増水した川でおぼれ死んだ故事から。

竹馬の友〈晋書〉
 竹馬に乗っていっしょに遊んだ友。幼な友だちのこと。

不倶戴天(倶(とも)に天を戴(いただ)かず。ふぐたいてん)〈礼記〉
 自分も相手もいっしょに天をいただかない。この世にともには生きていることはできないほどの強い恨みがあること。

刎頚之交(刎頸(ふんけい=首をはねること)の交わり)〈史記〉
 首を斬られても悔いの無いほどの固い友情で結ばれた交際。

四海之内、皆兄弟也。(四海の内、皆兄弟なり。)〈論語 顔淵篇〉
 昔中国の四境は、海で囲まれていると考えられていたので、四海の内とはその内、つまり今で言う世界のこと。
 この成語は、世界中の人々は全て兄弟のように親しく、助け合って暮らすべきであるという意味である。普通は、
 「人間は誰でも、同一目的、同一理念のために行動すれば、無差別、無条件に親しくなれる。」という意味に用いられる。

好而知其悪、悪而知其美(好んで其の悪を知り、悪(にく)みて其の美を知る。)

伯牙絶絃(はくがぜつげん)〈呂氏春秋〉
 琴の名人の伯牙が琴をひくと、親友の鍾子期(しょうしき)はその音色をよく聴き分けた。その鍾子期が死ぬと、
 伯牙は琴をこわして絃を絶ち、生涯2度と琴をひこうとはしなかった。琴をひいてやるほどのものはこの世に
 いないと思ったからである。以来この成語は、無二の親友や真の友を失ったときの悲痛を表すようになった。
 ※この2人は「知音」(心の底から理解し合った親友。)という故事成語の語源ともなっている。

呉越同舟〈孫子 九地篇〉
 日本では呉人と越人とはもともと犬猿の仲であるから、同じ場所にいても、何となくよそよそしく、互いに
 そっぽを向いて、無視しあうという意味に用いられる。しかし中国では、呉の人と越の人とは互いに憎みあう
 仲であるが、同じ舟に乗って川を渡っているとき、大風にあって舟がくつがえりそうになったら、彼らは日頃の
 怨みも忘れて、左右の手のように助け合うものだという意味に用いられる。

敬而遠之(敬遠、敬して之を遠ざく。)〈論語 雍也(ようや)篇〉
 表面は敬う様子をして実は疎(うと)んじ遠ざけて親しまないこと。

肝胆相照(肝胆(かんたん)相照らす。)〈故事必読成語考〉
 互いに心の中をうちあけて、よく理解しあい、親密であること

和而不同(和して同ぜず。)〈論語 子路篇〉
 人と仲よくはしても、理を曲げてまでむやみに従うことはしない。

青眼白眼(せいがんはくがん)〈晋書〉
 青眼=黒い目。白眼に対して、まともに黒いひとみを向けて、喜んで応対する目つき。 気のあう友人。
 白眼=しろめ。人を軽蔑した目つき。冷淡な目つき。

刮目相待(看)(刮目(かつもく)して相待つ(看る)。)〈呉志〉
 お互いに目をかっと見開いてよく見る。特に期待し、注意して見る。

三顧(さんこ)の礼〈三国志〉
 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)が諸葛孔明(しょかつこうめい)を3度もその草庵に訪ね、時局対策を問い、
 ついに軍師として迎えた故事から、(目上の人が)礼を尽くして賢者を招くこと。

人一能之、己百之、人十能之、己千之。〈中庸〉
(人一たびして之を能くせば、己之を百たびす。人十たびして之を能くせば、己之を千たびす。)
 他人が1度やってできることで、自分にできない場合は、100度もこれをやっておおいに努力する。

愚公移山(愚公(ぐこう=人名)山を移す。)〈列子〉
 怠らずに努力すれば、ついには成功することのたとえ。昔、愚公という老人が自分の家の前にある山を、
 子孫の代までかかっても平らにしようと努力したのに神が感心して山を取り除いたという故事から。

蛍雪之功〈晋書〉
 苦学して学問にはげんだ成果。

水滴穿石(水滴、石をも穿(うが)つ)
 (類)塵も積れば山となる。=わずかな物も積り重なれば高大なものとなることのたとえ。

少壮不努力、老大徒傷悲。(少壮努力せざれば、老大徒(いたづ)らに傷悲(しょうひ)す。)
 若いころに努力しないと、年をとってから後悔する。

百尺竿頭、更進一歩(百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)、更に一歩を進む。)〈無門関〉
 努力をしたうえにさらに努力して向上することのたとえ。

欲窮千里目、更上一層楼(千里の目を窮(きは)めんと欲し、更に一層の楼を上る。)
 努力をしたうえにさらに努力して向上することのたとえ

明哲保身(めいてつほしん)〈詩経〉
 知恵が優れて道理に明るく、身を全うすること。

君子豹変、小人改面(くんしひょうへん、しょうじんかいめん)〈易経〉
 君子があやまちを改めるときは、豹の斑文(はんもん)のようにはっきりとしている。君子が善に移ることのはっきりしているたとえ。

青出于藍(出藍の譽(ほま)れ・青は藍(あい)より出(い)づ)〈荀子 勧学篇〉
 藍草から作られた青色が、藍よりもいっそう青く、水からできた氷が、水よりも更に冷たいように、学問は
 中途でやめてはいけない。よりよいものに変わるように、つとめはげまねばならない、というのが原義。
 後に、弟子(学生・後輩)が師(先生・先輩)よりもすぐれていることを言うようになった。

佩韋佩弦(はいいはいげん)〈韓非子〉
 佩韋は短気な性格をなおそうと努めること。中国の戦国時代の西門豹(せいもんひょう)という人は、
 非常に気が短かったので、いつも韋(なめし皮)を身につけて、短気な性格をなおそうと努めたという故事。
 佩弦はのんびりした性格をなおそうと努めること。
 春秋時代の董安于(とうあんう)という人が、のんびりした性格であったので、いつも弓づるを身につけて心を緊張させ、
 のんびりした性格をなおそうと努めたという故事。

読書万巻不読律(読書万巻(ばんかん)律を読まず。)
 万巻の本を読むが、律(法律書)は読まない。中国人の根強い法律不信をあらわした成語。

天知、地知、子知、我知。(天知る、地知る、子(し)知る、我知る。)〈通鑑〉
 天と地とわたしと、あなたが知っている。悪事(この故事では贈収賄。)は必ず露見するということ。

一網打尽(いちもうだじん)〈宋史〉
 一度網をうって魚をみんな捕らえる。一度に敵や犯人をみんな捕らえること。

水至清則無魚、人至察則無徒。〈後漢書〉
(水至って清ければ則ち魚無く、人至って察(さつ)なれば則ち徒(と)無し。)
 水があまり清いとかえって魚がすまない。人もあまり清廉潔白にすぎるとかえって人がなつかないことのたとえ。
 ※察=目がきくさま。すみずみまでよく見えるさま。

法三章〈史記〉
 漢の高祖が秦(しん)を破り咸陽(かんよう)にはいったとき、秦の苛酷な法律をやめて、ただ3か条の
 法律とした故事。3か条の法律とは、人を殺した者は死罪に、人を傷つけた者は罪に、またものを盗んだ者は
 罪にそれぞれあたるというもの。転じて、法律は簡単なほど良い。

長袖善舞、多銭善賈(長袖(ちょうしゅう)善(よ)く舞い、多銭(たせん)善く賈(こ)す。〈韓非子〉
 ながいそでの着物を着た者は舞が上手にでき、金持ちは商売が上手にできる。条件がそろった者は
 何事をするのにも都合がよいというたとえ。

奇貨可居(奇貨(きか)居(お)くべし。)〈史記〉
 めずらしい品物は、大きな利益を得られるので、だいじにしまっておいて、よい機会を待つのがよい。
 よい機会に乗じることのたとえ。秦の呂不韋(りょふい)が、趙の国に人質となっていた秦の王子
 子楚(しそ)を奇貨とし、奇貨はだいじにとっておくべきであるとして、これを助け、のちに子楚が
 秦の王となったとき、呂はその大臣になった故事から。

朝令暮改(ちょうれいぼかい)〈漢書〉
 朝命令を出し、夕方にはそれを改める。命令・方針がたびたび変更されて一定していないこと。

取而代之(取って之に代わる。)

十目所視、十手所指(十目の視る所、十手の指す所。)〈大学〉
 10人の人の目が見、10人の人の指がさす。多くの人の批判は、きびしく正しいたとえ。また衆知の事実。

狡兔死而良(走)狗煮(狡兎(こうと)死して良(走)狗(く)煮らる。)〈史記〉
 すばしっこい兎が死ぬと、優れた猟犬も用済みになって煮て食われるという意から、敵国が滅びてしまうと、
 そのために力を尽くした功臣も、不用になって殺されてしまうこと、また、功績のあった人も、事が済んで
 不用になると、排除されてしまうことのたとえとして用いられる。

国士無双〈史記〉
 国じゅうで比べる者がないほどにすぐれた人。
 ※前の「良(走)狗」もこの「国士無双」も秦末期・漢初期の名将韓信(かんしん)を指した。

始如処女、後如脱兎(始めは処女のごとく、後には脱兔(だっと)のごとし。)〈孫子〉
 はじめは、処女のようにきわめてもの静かであるが、あとでは逃げるうさぎのようにはやく勢いがよい。
 はじめ弱々しそうな者がのちに活発に力を発揮すること。静かにして敵をゆだんさせ、隙をついて攻撃を
 しかけるという兵法から。

信賞必罰(しんしょうひつばつ)〈漢書〉
 功績があれば必ず賞を与え、罪があれば必ず罰して賞罰をきちんともれなく行うこと。

三十六計、走為上計(三十六策、走(に)ぐるを上計と為す。)〈南斉書〉
 36の策略のうちで、逃げるべきときには逃げて安全をはかるのが最上の策である。困ったときには、
 その物事をさけるのがいちばんよいということ。

当断不断、反受其乱(当に断ずべきに断じざれば、反(かえ)って其の乱れを受く。)
 決断を下すべき時に決断を下さずにいると、かえって不利益を被(こうむ)ることになる。

断自敢行、鬼神避之(断じて敢行すれば、鬼神も之を避く。)〈史記〉
 小事にこだわって大事を忘れるならば、後に必ず災難があり、疑いを抱いてためらうならば、後に必ず悔いを
 残すことになる。だが、断じて敢行すれば、鬼神もこれを避けて通るし、必ず成功をおさめるであろうということ。

一将功成万骨枯(一将功成って万骨枯る。)〈己亥歳〉
 一人の将軍が輝かしい戦功を立てるには、そのかげにしかばねを戦場にさらす多くの兵士のいたましい
 犠牲があるという意から、上に立つ者が功績を独り占めするのを怒っていうときに用いる。

知彼知己、百戦不殆(彼を知り己を知れば、百戦殆(あや)ふからず。)〈孫子〉
 敵と味方の実力や情勢をよく知っていれば、何回戦っても負けることはない。            

其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山(其の疾(はや)きこと風のごとく、其の徐(しづ)かなること
 林のごとく、侵掠(しんりゃく)すること火のごとく、動かざること山のごとし。)〈孫子〉

城下の盟(じょうかのめい)〈左伝〉
 城壁の下まで攻めこまれ、戦争に負けて結ぶ講和。最も屈辱的なこととされる。

四面楚歌〈史記〉
 楚の項羽が垓下(がいか)で漢軍に包囲されたとき、漢軍の中から盛んに楚の歌が聞こえてきたので、祖国の
 楚が漢軍に降伏したと思って嘆いた故事から、周りが全部敵で、だれからも援助のないこと。孤立無援。

背水一戦(背水(はいすい)の陣)〈史記〉
 川をうしろにして陣地をつくり、敵に対する。逃げることのできない、決死の覚悟で戦いにのぞむこと。
 転じて、失敗すれば滅びることを覚悟で、事の成敗を試みること。

捲土重来(けんどちょうらい・土を捲(ま)き重ねて来たる。)〈題鳥江亭詩〉
 土ぼこりをまきあげて再び来る。負けた者が勢いを盛り返して攻めてくる。勢いを盛り返し、やりなおすこと。

問鼎之軽重(鼎(かなえ)の軽重を問う。)〈左伝〉
 楚王が周に行き、天子の証として伝わる九鼎(きゅうてい)の重さを(天子を奪う野心があったので、鼎を
 運ぶときの用意のために)聞いた故事。転じて、他人の実力を疑い、軽視するたとえ。

千慮一失(せんりょのいっしつ)〈史記〉
 知者のすぐれた多くの考えにも、ときにはまちがいがある。思わぬ失敗。

一敗塗地(一敗(いっぱい)地に塗(まみ)る。)〈史記〉
 ひどく負けて地面にたたきつけられる。再起不能になるほど大敗すること。

王侯将相、寧有種(王侯将相、寧(いず)くんぞ種(しゅ)あらんや。)〈史記〉
 王侯将相とは、帝王・諸侯・将軍・宰相をいう。それらになるのに、決まった家系や血統があるわけではない。
 実力があれば誰でもなれるのだということ。

孤城落日(こじょうらくじつ)〈送韋評事詩〉
 孤立して助けのない城に没しようとする夕日がさしていること。勢力が衰えて心細いさま。

十年磨一剣(十年一剣を磨く)〈剣客(賈島)〉
 もともとは、剣を磨き兵を練って、復讐をはかる意味(臥薪嘗胆)に用いられたが、そのような意味に
 限定されず、才能・技術・学問など何事であれ、その修得錬磨(しゅうとくれんま)に、長い間、専心努力する
 ことに用いられる。

臥薪嘗胆〈史記〉
 復讐のために長い間辛苦を重ねること、目的を遂げるために刻苦精励(こっくせいれい)すること。しだいに、
 復讐とは関係なく、目的を遂げるために発憤努力したり、成功を期して辛苦を重ねたり、向上を求めて苦しい
 試練を自分に課したりする意味で用いられるようになった。

会稽(かいけい)之恥〈史記〉
 敗戦の恥辱。会稽山で越王勾践(こうせん)が呉王夫差(ふさ)に敗れた故事から。

勝負兵家之常・勝敗乃兵家常事(勝負は兵家の常。・勝敗は乃(すなわ)ち兵家の常時。)〈唐書〉
 勝つこともあれば負けることもあるのは、いくさをする者にとって、あたりまえのことである。

不入虎穴、焉得虎子(虎穴に入らずんば、焉(いづ)くんぞ虎子を得ん)〈十八史略〉
 危険を冒さなければ大きな成果は得られない。後漢の武将班超(はんちょう)が西域に使いし、
 匈奴(きょうど)の使者を夜襲するにあたり、部下に告げた言葉。

俯仰無愧(ふぎょうむき)(俯仰(ふぎょう)、天地に恥じず)〈孟子 尽心上篇〉
 仰いで天に対しても、ふして地に対しても、心にやましいことがないから恥じるところがない。自分の心や
 行いに少しもやましいところがないこと。

行不由経(行くに径(けい)に由(よ)らず。)〈論語 雍也篇〉
 目的地へいくのに近みちを通らず、大通りをいく。こせこせせず、正々堂々と物事を行うこと。

当仁不譲(仁に当たりては譲らず。)〈論語 衛霊公篇〉
 論語には、「子曰く、仁に当たりては、師にも譲らず。」とある。「仁」は仁徳・仁愛・仁義などの仁で、孔子の
 唱えた儒教で最も重要な徳目の1つであるが、その仁を行うにあたっては、「師」、つまり恩師や先生に対しても、
 決して遠慮するなという意味である。ただ、「師にも譲らず」というと意味が限定されるので、成語としては
 普通「師」を省いて用いる。何事であれ自分が正しいと思ったことは、誰にも遠慮せず断固として実行せよ
 という意に用いられる。

老驥伏櫪、志在千里(老驥伏櫪(ろうきふくれき)、志千里に在り。)〈亀雖寿(曹操)〉
 年老いた名馬は、世に用いられず厩(うまや)につながれていても、なお千里の遠きを駆けめぐることを
 思うことから、英雄・俊傑の老いてもなお、志を高く持って英気の衰えないことをいう。
 驥は1日に千里を駆ける駿馬。櫪はうまや、あるいは馬のかいば桶の意味。

老当益壮(老いて益ます壮(さか)ん)
 老いてもはつらつと若々しい様。日本では悪い意味にも用いられるが、中国ではよい意味にのみ用いる。

浩然(こうぜん)之気〈孟子 公孫丑(こうそんちゅう)上篇〉
 天地の間に充満している至大至剛(しだいしじゅう)の気(非常に大きく強い気)のこと。自分の行動が
 正しくて天地に恥じるところがなければ、この気が身中にみちて、何ものにも屈しない大らかな道徳的勇気となる。

磊磊落落(らいらいらくらく)
 石がごろごろと重なるさま。転じて、気持ちが大きくこせこせしないさま。

不知老之将至云爾(老いの将に至らんとするを知らず。)〈論語 述而(じゅつじ)篇〉
 老いが次第にその身に迫ってくるのさえ気づかずに、年老いても精神の輝きを失わず、人生に情熱を持って
 立ち向かう孔子自身の様を表した言葉。

優游不迫(優游(ゆうゆう)迫らず。)〈詩経〉
 物事にこせこせせず、人生をゆったりと落ち着いて生きるさま。

臥遊(がゆう)
 そこにいかないで、旅行記・地図や、その地をえがいた絵を見て、旅行した気分になってたのしむこと。

大器晩成〈老子 第41章〉
 鐘や鼎(かなえ)のような大きな器物は、はやく作りあげることができないように、大人物は早くから才能を
 表さないけれども、時間をかけて実力を蓄えていって、やがて大成することを、「大器晩成」という。もともとは、
 大いなる器物について言ったものであったが、後に偉大な人物を表すように転化したとされる。

馬耳東風〈答王十二寒夜独酌有懐(李白)〉
 東風とは春風のことであるが、春風が馬の耳にそよそよと吹いてきても、馬は一向にそしらぬ顔で、気にも
 とめない、というところから来た成語。以下のようなたとえとして用いられる。
 1.うわの空で人の忠告に従う気がないことのたとえ。
 2.無知なために、高尚なことを聞いても、一向に理解できないことのたとえ。(猫に小判・豚に真珠)
 3.自分の利益にならないことを聞いて、関心を示さないことのたとえ。

天下本無事、庸人自擾之
(天下は本(もと)より事(こと)無し、庸人(ようじん=普通の平凡な人)自ら之を擾(みだ)す。)

脚力尽時山更好(脚力尽くる時、山更に好し。)〈登玲瓏(れいろう)山(蘇軾)〉
 まっしぐらに駆けているときには、人生のすばらしさはなかなか分からないものだが、脚力も尽き果て、
 人生も残り少なくなってくると、そのすばらしさが一層よく分かる。有限の身で無窮の時間をむさぼるように
 生きたとて、結局きりがない。それよりもむしろ、それ相応に満足し、しばし立ち止まって、人生の妙味を
 味わうようにしたがよい。

春在枝頭已十分(春は枝頭(しとう)に在って已(すで)に十分。)〈鶴林玉露(かくりんぎょくろ)〉
 1日中春を訪ねて歩き回ったが、春の気配はどこにもなかった。わらじばきで、雲霧のおおう高山までも
 踏破(とうは)したが、春はどこにも得られなかった。家に帰って、笑いながら梅の小枝をつまんで、その
 香りをかぐと、春はなんとわが家の梅の梢にいち早く訪れていた。という漢詩から、真理や幸福は、いくら
 遠くまで探し求めても、手に入れられるものではない。それよりもむしろ、身近なところにこそ存在するのだという意味。

亢龍有悔(亢龍(こうりゅう)悔い有り。)〈易経〉
 亢龍とはあまりに高く登りすぎた龍を言う。最も高いところまで昇り詰めた龍は、もはやそれ以上には昇れない。
 退くことを忘れ、驕慢(きょうまん)に振る舞っていると、必ずや難儀な目にあって後悔することになるという意味。

富貴浮雲(ふうきふうん)
 富貴は浮き雲のようにあてにならない。

我行我素(我は我が素(そ)を行う。)〈中庸〉
 環境に左右されたり、人に影響されたりしないで、我が素、すなわち自分の意志、志願を貫くことを言う。
 世間一般の行き方とは異なっても、自分の考えや生き方、やり方などを、どこまでも固く守り抜こうとするとき、
 この言葉を用いる。「我が道を行く。」、「初志を貫く。」などとほぼ同義。

水鏡無私(すいきょうむし)
 水鏡は物を正しく映すたとえ。道徳の手本とするような人。

瓜田不納履、李下不正冠(瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず、李下に冠を正さず。)〈楽府詩集〉
 瓜田とは瓜を作っている田んぼ、李下とは李(すもも)の実のなっている樹の下であるが、そのような場所では、
 履を踏み入れたり、(あるいは履きかえたり)冠をかぶり直したりせぬよう注意せよ、なぜなら、それらを
 盗もうとしていると疑われるからである、ということ。

為五斗米不折腰(五斗米(ごとべい)の為に腰を折らず。)〈宋書 陶潜伝〉
 わずかな俸給のために節を屈して職に就いたり、人に憐れみを請うたりしない気節、気骨を表す。

渇不飲盗泉水(渇(かっ)しても盗泉(とうせん)の水を飲まず。)〈猛虎行〉
 盗泉は「盗人の泉」という意味の泉の名前である。孔子は名前のよくないこの泉を嫌って、のどがかわいても
 盗泉の水を飲まなかったという。この故事から、節義節操は失わないようにしたいという気持ちを述べた成語である。

歳寒松柏(さいかんしょうはく・歳寒くして松柏の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る)〈論語 子罕篇〉
 真冬の寒い時節になってはじめて、松や柏(中国ではヒノキやイブキなどヒノキ科の樹木の総称)が緑の葉を
 青々と保って、力強く生きていることが分かる。という意味で、危難・艱苦(かんく)の中においてこそ、
 その人の真価や節操がはっきり分かるという意味に用いられる。

桃李不言、不自成蹊(桃李言(ものい)わざれども、下自(おのずか)ら蹊(みち)を成す。)〈史記〉
 桃や李(すもも)は、花が美しく、また実もおいしいので、招かなくても人が集まり、その下にはいつしか
 小道ができる。そのように、人となりや行為が高尚であれば、自ら宣伝しなくても、他人から必ず尊敬され、
 その徳に心服した人たちがおのずと慕いよって来るという意味。

蘭在幽林亦自芳(蘭は幽林に在るも亦自ら芳(かんば)し。)

無絃之琴(無絃(むげん)の琴(きん))〈晋書 陶潜伝〉
 陶潜は音楽が分からなかったが、絃のない一張りの琴を持っていて、酒を飲んでいい気持ちになると、
 いつもこれを爪弾(つまび)くまねをして、自分の思いをこれに寄せたという。自由人の高雅な趣味を
 表す言葉として用いられる。

坐擁百城(坐して百城を擁す。)〈魏書〉
 北魏の李謐(りひつ)は、「大丈夫(だいじょうぶ)たる者は、万巻の書物に囲まれて暮らすことができるならば、
 なにも百城の王様になることはない。と言って、門を閉ざして交わりを絶ち、家業を放棄して書物の中に
 埋もれ生活を送った。これより、蔵書の多いことや多くの書物に囲まれた生活をすることを表す成語となった。

功成身退(功成り身退(しりぞ)く。)〈老子 第9章〉
 りっぱな功績をあげ名声を挙げたら、いつまでもその地位にとどまらずに身を引く。
 それが天の道にかなったことである。

和光同塵(わこうどうじん)〈老子 第4章〉
 自己の才能をかくし、俗世間の中にまじわること。

百年、河清(かせい)を挨(ま)つ〈左伝〉
 黄河の水の澄むのを100年も待つ。望んでも実現できないことのたとえ。

桃源郷〈桃花源記(陶潜)〉
 理想郷。

知者楽水、仁者楽山(知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。)〈論語 雍也篇〉
 知者は世の中に機敏に対処するので、流れゆく水を好み、仁者は天命に安んじて泰然自若としているので、
 動かない山を好む。知者は動き人生を楽しみ、仁者は静かで長生きをする。

清風明月不用一銭買〈襄陽歌(じょうようか・李白)〉
 清らかな風や明るい月は、お金を出す必要がない。すなわち、自然美を観賞するにはお金はいらない、貧乏でも
 心さえあれば、いくらでもこれを楽しみ享受することができる。

胸中丘壑(胸中の丘壑(きゅうがく)。)
 丘壑は俗世間から離れ、自然に囲まれた土地。

日損又損(捨てる技術)

人衆勝天、天定亦勝人(人衆(おほ)ければ天に勝ち、天定まれば亦(また)人に勝つ)〈史記〉
 人が多く集まったときには、その力は一時天道にも勝る。しかし、天道が定まってくれば、やはり天が人に
 勝って、正者は福、不正者は不幸となるものである。

滄海変為桑田(滄海(そうかい=大海原)変じて桑田(そうでん)と為る)〈神仙伝〉
 大海原が1夜にして干上がって桑畑となり、また桑畑が1夜にして沈下し大海原になってしまうような
 大変化のこと。世の変遷の激しいことを言う。

暴殄天物(天物(てんもつ)を暴殄(ぼうてん)す。)
 天から与えられたもの(自然?)を無駄遣いする様。暴殄は乱暴に扱い滅ぼす意味。

風花雪月
 自然の美しさを表した言葉。風流の対象として眺められる自然界の景観の代表的なもの。
 中国では日本でよく用いられる「花鳥風月」はあまり用いられない。

天長地久(天は長く地は久し)〈老子 第7章など〉
 天地が永久に尽きないこと、極めて長久なことを言う。

万紫千紅(ばんしせんこう・千紫万紅とも)〈春日(朱熹)〉
 花などの種々様々なこと。また、色とりどりの花。

春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)〈春夜(蘇軾)〉
 日本では、春の世の快適さを言った言葉とされる。(原義はこの意味)しかし中国では原義からそれて、
 ほとんどみな「男女の恋情」を述べるときに限定して用いられる。

得隴望蜀(隴(ろう)を得て蜀を望む)〈十八史略〉
 後漢の光武帝が、隴右(ろうゆう)地方を得た上にさらに蜀を手に入れようとした故事から、
 人間の欲望に際限のないことのたとえ。

銭は翼なくして飛び、足なくして走る〈銭神論〉
 金銭には翼も足もないのに、人の手から人の手へとめまぐるしく渡り歩く。

人面獣心〈史記〉
 顔は人間でも心はけだもの同様であること。恩・情け・恥を知らないものを罵って言う言葉。

意馬心猿(いばしんえん)〈参同契〉仏教語 心猿定まらず、意馬四馳(しち)す。
 煩悩のために情が動いて抑えがたいことを、走る馬・騒ぐ猿にたとえた語。欲情が猛然と起こって、自分で
 どうにも抑えきれないこと。

秉燭夜遊(燭(しょく=ともし火)を秉(と)って夜遊ぶ。)〈文選〉
 灯火をかかげて夜遊びをすること。人生は短いから、時節を逃さず明かりをつけて夜も楽しめということ。

酒池肉林〈史記〉
 酒池とは、大きな池を掘って水の代わりに酒を満たしたもので、中に舟を浮かべて漕ぎ回り、3千余人がならで
 これを牛飲したという。肉林とは、今では女性が多い意味とされるが、もともとはまわりの樹木につるした肉が、
 森や林をなすほどにたくさんあったことをいう。贅沢きわまる酒宴のこと。

見弾而求鶚灸(弾を見て鶚灸(きょうしゃ=焼き鳥)を求める。)〈荘子 斉物論篇〉 (類)取らぬ狸の皮算用
 鳥を射る弾を見てすぐに焼き鳥を求めることから、気の早すぎること。

楊朱泣岐(楊朱(ようしゅ=徹底的な個人・快楽主義者)岐(き=分かれ道)に泣く。)〈荀子 王覇篇〉
 道の取り方によってどちらにでも行ける、という、選択の苦しさを表す成語。
 世間の万事はこのように元は正しくとも、末は境遇に応じてそれぞれ異なる方向に進みがちなものである。

道不同、不相為謀(道同じからざれば、相為に謀(はか)らず。)〈論語 衛霊公篇〉
 東を目指す者と西を目指す者が互いに旅程の相談をしても仕方がない。これと同様に人生の行路において、
 たとえば善を志す者と、利を志す者が互いに相談し合ったところで、一致しようはずはなく、全く無駄なことである。

求人不如求己(人を求むるは己を求むるに如(し)かず。)
 人に何かをしてもらおうとするよりも、それを自分でした方がよいということ。

心有余而力不足(心に余り有るも力足らず。)
 心でやりたいと思っていても、やるのには力がどうしても不十分だ。多くは人助けなど、本人や他人がやりたい
 気持ちを持っていても、自分1人の力ではとてもやり遂げられないと言う残念な気持ちを表すときに用いる。

人琴倶亡(人琴倶(とも)に亡ぶ。)〈晋書〉
 晋の王義之(おうぎし)の子献之(けんし)が亡くなったとき、愛用の琴も不調になったのを兄の
 徽之(きし)が嘆いて1ヶ月余り後に死んだ故事から、人の死を非常にいたむたとえ。

深蔵若虚(良賈深蔵若虚)(良賈(りょうこ=よい商人)深く蔵(ぞう)して虚(むな)しきがごとし。)〈十八史略〉
 よい商人は決して店を飾るものではない。全ての品物は深く納めて、何もないようにしている。同様に君子は
 非常な徳があってもそれらを現さず、一見愚者のような姿で飾ることがない。(老子の言葉)
 (類)能ある鷹は爪を隠す。

人無遠慮、必有近憂(人遠き慮(おもんばか)り無くんば、必ず近き憂い有り。)〈論語 衛霊公篇〉
 人は、遠い将来を見通さないと、さしせまった心配事が起こるものだ。

己所不欲、勿施于人(己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ。)〈論語〉
 自分の望まないことは、人にしてはならない。

膾炙人口(人口に膾炙(かいしゃ)す。)〈周朴(しゅうぼく)詩集序〉
 膾(なます)や炙(焼肉)は、誰でも賞美するように、人々の口の端に上って、もてはやされることから、
 広く人々に誉めそやされること。

積羽沈舟(積羽(せきう)舟を沈む。)〈史記〉 (類)塵も積もれば山となる。
 軽い羽でも、たくさん積もれば、その重さで船までも沈めることができる。

千里之堤、潰于蟻穴(千里の堤も、蟻穴(ぎけつ)より潰(つい)ゆ。)〈淮南子〉
 千里もの長さを持つ堤でも、蟻の穴のような小さな穴から崩れてしまう。

疑心生暗鬼(疑心暗鬼(あんき)を生ず。)〈列子〉
 疑いの心を持っていると、ありもしない(起こることのない)恐ろしいことが心に浮かんでくる。

任重而道遠(任重くして道遠し。)〈論語 泰伯篇〉
 背に負っている荷は重く、それを運ぶ道は遠い。責任の重大なことのたとえ。

縁木求魚(木に縁りて魚(うお)を求む。)〈孟子 梁(りょう=国名)恵王上篇〉
 孟子が斉の宣王を批判して、武力によって領土を広めようとするのは木に登って魚を捕らえようとするのと同様、
不可能だと言った故事から、方法を誤っては目的を成就できないということ。

守株待兔(株を守りて兔を待つ。)〈韓非子〉
 兎(うさぎ)が偶然木の切り株にぶつかって死んだのを見て、またぶつからないかと、毎日切り株の番をして
 暮らしたおろかな宋の国の農夫の話から、旧習を固守して融通の利かないこと。

徙宅忘妻(宅を徙(うつ)りて妻を忘る。)

助長(助けて長ぜしむ。)〈孟子 公孫丑上篇〉
 宋国の人が、稲の苗の成長を早めようと、その穂先を引っ張り、かえって枯らしてしまった話から、いらぬ
 力添えをして、かえって害すること。今では「助成(じょせい)」の意味にも用いられる。

吹毛求疵(毛を吹きて疵(きず)を求む。)〈韓非子〉
 毛を吹いて隠れている小さな疵を求める。しいて他人の欠点などを探し求めること。

岐路亡羊(きろぼうよう・岐路に羊を亡(うしな)う。)〈列子〉
 分かれ道が多く、逃げた羊を見失って困ること。転じて、学問の道は広いのに自分の能力には限りがあり、
 前途に光明を失うことのたとえ。

怨入(徹)骨髄(怨み骨髄に入る(徹す)。)〈史記〉
 うらみが骨の芯まで染みわたる。深い恨みのたとえ。

累卵之危(るいらんのき)〈戦国策〉
 積み重ねた卵が崩れやすいことから、極めて不安定で、ちょっとしたきっかけから最悪の事態を引き起こし
 かねない状態。非常に危険なたとえ。

老馬識途(老馬途(みち)を識(し)る。)〈韓非子〉
 経験を積んで物事によく長じたものの知恵。春秋時代、斉の管仲(かんちゅう)が山中で道に迷ったとき、
 老馬を放ちその後に従って道を得た故事から。

危急存亡(ききゅうぞんぼう)〈出師表(すいしのひょう)〉
 存続するか滅亡するかの分かれ目になる危険に直面している重大なとき。

寧為玉砕、不為瓦全(寧(むし)ろ玉砕(ぎょくさい)を為すとも、瓦全(がぜん)を為さず。)
 捕虜になって、生きているというだけで大したこともしないよりは、戦死を覚悟して全員力を尽くして敵に
当たる方がよいということ。無価値な瓦となって生きるより、いさぎよく玉のごとく砕ける意。

遠水不救近火(遠き水は近き火を救わず。)〈韓非子〉
 遠方にある水では、すぐそばの火が消せない。遠い物は急場の用に立たないことのたとえ。

中道而廃(中道にして廃す。)〈論語 雍也篇〉
 真に力量の足らぬ者ならば、途中で力つきてやめてしまうであろう、ということ。
 原文は「力不足者中道而廃」(力足らざる者は中道にして廃す。)

既往不咎(既往(きおう)は咎(とが)めず。)〈論語 八?篇〉
 過去のことはとがめ立てしない、ということ。

千里の駒〈戦国策〉
 1日に千里も走るほどの駿馬(しゅんめ)のことで、転じて年少才幹(さいかん)の士、英俊有為の少年を言う。

一犬吠形、百犬吠声(一犬形に吠えれば、百犬声に吠える。)〈潜夫論〉
 1匹の犬が何かを見て吠えると、その声を聞いて他の多くの犬が何事かあるかのように吠え立てる。1人が
 それらしいことをいうと、多くの者がこれを事実としてうわさしあうたとえ。

螳臂当車(とうひとうしゃ・螳螂(とうろう=カマキリ)の斧)〈韓詩外伝〉
 斉の荘公が出猟した際、道ばたにいたカマキリが通すまいとして前足をあげてこれを防ぎ止めようとしたのを、
 荘公が勇者なりとしてこれを避けて通った故事から、けなげだがはかない抵抗のこと。また、身の程知らずの
 たとえ。螳臂当車は「猶蟷螂之怒臂以当車軼」(蟷螂の臂(ひじ)を怒らして以て車軼(しゃてつ)に当たるがごとし。)の略

風樹(ふうじゅ)の嘆〈韓詩外伝・説苑(ぜいえん)〉 (類)孝行したいときに親はなし。
 木は静止したくても風が吹き止まないので揺れ動くように、子が孝行をしたくても親はすでに死んでいて
 孝行をすることができない嘆き。

骨肉相食(残)(骨肉相残(そこ)なう(食(は)む)。)
 骨肉の間柄にある者(血族)同士が、利権を独占しようとして醜く争うこと。

唇亡歯寒(唇亡びば歯寒し。)〈左伝〉
 唇がなくなると歯を保護する物がなくなって、不都合を生じる。そのように深い利害関係のある一方が
 なくなると他の存在にも大きな影響を及ぼすことのたとえ。

哀莫大於心死、而人死亦次之(哀しみは心死より大なるは莫く、人死は亦之の次なり。)

視死如帰(死を視ること帰(き)するがごとし。)〈白馬篇(曹植)〉
 死を見ることは、まるで帰るのと同じようなものなのだ。国のために戦う有志の雄々しさを詠ったもの。

逝者如斯不舎昼夜(逝く者は斯(か)くのごときか、昼夜を舎(お)かず。)〈論語 子罕篇〉
 過ぎゆくものは全て川の流れのようなものであろうか。昼も夜も止まることなく流れてゆく。人の生命も、
 この世界の一切の事象も、みな時々刻々、流れ、流れて、止まるところを知らない、と孔子が詠嘆を込めて
 発した言葉。

物是人非(物在人亡)(物在れども人亡し。)〈題慮五舊居〉
 すでに廃屋となって、物こそ元のままにあるが、住んでいた人は今は世にない。

去者日以疎、生者日以親(去る者は日を以って疎(うと)く、生者は日を以って親しむ。)〈古詩十九首〉
 死んでしまった人は日ごとに忘れられ、生きて身近にいる人は日ごとに親しまれていく。

病入膏肓(病(やまい)膏肓(こうこう)に入る。)〈左伝〉
 春秋時代の晋の景公が、病魔が名医も治療のできない膏(心臓の下)の上、肓(横隔膜の上)の下に隠れた
 夢を見たという故事から、病気が進んで治療のできないほど重くなっていること。
 ※ 膏肓の肓は盲腸の盲とは異なるので注意。

百足之虫、死而不僵(百足の虫は、死ぬも僵(たお)れず。)〈六代論〉
 足の多い虫は死んでも倒れない。助ける足が多いから。助けの多いものは容易に滅びないことのたとえ。

蓋棺論(事)定

汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)〈陸文通先生墓表(柳宗元)〉
 それを載せた貨車をひくのに、牛が汗をかき、棟につかえるほどの分量があるような蔵書の多さに言う。

天有不測風雲、人有旦夕禍福(天に不測の風雲有り、人に旦夕(たんせき)の禍福有り。)
 自然界では予測もしないときに風雨が起こるが、人の世でもいつ何時何が起こるか分からないものだ。とくに、
 禍(わざわい)はいつ起こるか分からないものだという意味に用いられる。

小人閑居(かんきょ)して不善を為す。〈大学〉
 誘惑にすぐ負けて初志を見失いがちであったり、初めから人生に大きな目的を持ち合わせていなかったりする
人は、暇をもてあまして、ついよくないことをするものだ。

完璧(璧の字は下が「玉」です。「土」にしないように!)〈史記〉
 欠点が少しもないこと。昔璧(宝玉)と領土を交換するという交渉に望んだ外交官が、相手に誠意のないことを見抜き、
 璧を持ち帰った故事から。原義は「傷のない玉」

散歩

安堵(あんど)
 最近では「それまでの不安が無くなって、落ち着きを取り戻すこと。」を言うことが多いが、
 本来は、「封建時代、将軍や領主が、家臣の領地の所有権を認めたこと。」
 「堵」=垣で、「その土地に安心して住む」意味。

籠(かご)の鳥
 自由を束縛されている身のたとえ。

殺風景
 風雅な趣を失わせる。興をさます。趣がない。またその風景。荒涼たる風景。

自暴自棄〈孟子〉
 自分で自分の身をそこないすてる。やけになる。すてばちになる。
 原文は、「言非礼義、謂之自暴也、吾身不能居仁、謂之自棄也。」
 (言(げん)礼儀を非(そし)る、之を自暴と謂ふ、吾が身仁に居(お)る能(あた)はず、之を自棄と謂ふ。)

正々堂々〈孫子〉
 正正の旗、堂堂の陣の略。もともと整然と旗が並び、意気盛んな軍隊の形容。転じて、正面から明らかに
 事を行う態度の形容として用いられる。

青天の霹靂(へきれき)〈九月四日鶏未鳴起作〉
 晴れた日に急に聞こえてくる雷。転じて思いがけない事変や打撃の意味にも用いられる。

推敲〈三体詩〉
 僧推月下門(僧は推す月下の門)の句について「推(お)す」がよいか「敲(たた)く」がよいか何度も
 練り直した故事から、文章の字句を何度も練り直すこと。

細君
 自分の妻。他人(自分よりも目下の人)の妻。

万歳〈韓非子〉
 健康・長寿などを祝って言う言葉。昔は私人・王侯・天子いずれにも用いたが、唐以後は主として
 天子のみに用いた。

馬脚(ばきゃく)〈通俗篇〉
 うわべを飾っていた物の隠れた本性。化けの皮。

井の中の蛙(かわず)
 井戸の中で育ち、井戸の中しか知らない蛙。自分の狭い知識や考えにとらわれて、他の広い世界のあることを
 知らないで得々(とくとく)としている様を言う。

蛇足〈戦国策 斉策〉
 神官の召使たちが酒をもらったので、皆で蛇を描き、最初に書き上げたものが酒を飲もうと競争した。
 真っ先に描いた人が、自分の速さを自慢して、「私はまだ足まで描けるんだぞ。」と言って描き加えたため、
 蛇の絵ではなくなってしまい、他の者に負けて酒をとられ、飲みそこなった話から、無用の長物の意味。

画竜点睛(がりょうてんせい)〈歴代名画記〉
 最後の大切なところに手を加えて物事を完成することのたとえ。梁(りょう)の国の名画家が龍を描いて、
 最後に瞳を描き入れたら、天に飛び去ったという故事による。

五十歩百歩〈孟子〉 (類)大同小異
 大差がないこと。戦場で50歩逃げても100歩逃げても、逃げたという点では変わりないこと。表面的には少しの
 違いはあっても、本質的には同じである意。

傍若無人(傍(かたは)らに人無きがごとし。)〈後漢書〉
 そばの人に遠慮せず、勝手な行動をする様子。

未亡人
 夫に死なれた婦人。夫と共に死ぬべきなのに、まだ死なない人の意。もと、その婦人の自称であったが、
 今は他からその婦人を言う称。

一辺倒
 何か1つのものにだけにかたよること。

猪突猛進(ちょとつもうしん)
 イノシシのように周囲を顧みず、向こう見ずに突進すること。

三々五々(さんさんごご)〈採蓮曲(李白)〉
 「三五」は、「所々に散らばる」の意味。同じようなことをする人たちが、3、4人また5、6人グループを
 つくっていることを表す。

杞憂〈列子〉
 昔杞の国の男が、天が降ってくるのではないかと心配するあまり、飯ものどを通らなくなり、
 夜も眠れなくなってしまったという故事から、取り越し苦労の意味。

一朝一夕〈易経〉
 ひと朝ひと晩。短い時日。わずかの間。また、かりそめ。

齷齪(あくせく)〈史記〉
 歯並びのつまっている様。転じて、小さな事にこだわる様。こせつく様。原文は「其民齷齪」(其の民齷齪たり。)

走狗(そうく)〈史記〉
 よく走る猟犬。転じて、人の手先として使われる者。

長蛇の列
 蛇のように長々と続く行列。

紅一点〈咏柘榴詩(王安石)〉
 一面の緑の草むらの中に、1輪の赤い花の咲いていること。転じて、男ばかりの中にただ1人女のいることや、
 つまらない物の中にただ1つ優れた物のあることを言う。
 原詩は「万緑叢中紅一点」(ばんりょくそうちゅうこういってん)

割愛(かつあい)
 愛する心を断ち切ることから、惜しいと思いながら手放すこと。
 広義では、余裕がないので文章や演説などの一部を省略すること。

戦々兢々(せんせんきょうきょう)〈詩経〉現在は「恐々」と書くが、これは代用字。
 原文は、「戦々兢々、如臨深淵、如履薄氷。」(戦々兢々として、深淵に臨むがごとく、薄氷を履(ふ)むがごとし。)
 深淵に臨めば落ちることを恐れ、薄い氷を踏むときには割れることを恐れて、自ら戒め慎む。そのように人は
 身を慎まなくてはならない。大事が起こらないようにと、自らを戒め慎む様子。

白眉(はくび)〈蜀志〉
 蜀の馬氏の5人の兄弟は皆優れていたが、中でも白い眉毛があり、人々から白眉と呼ばれた長男の馬良が最も
 優れていたという故事から、最も傑出しているもの。

杜撰(ずさん)〈唐詩紀事〉
 宋の杜黙(ともく)の詩は法則に合わなかったので、一般に企画に合わぬのを杜撰という。
 杜(ず)は呉音。撰(さん)は詩文を作る意味。詩文などに誤りが多く、ぞんざいなこと。

圧巻(あっかん)
 最も優れた詩文。昔、中国で科挙(官吏登用試験)の最優等の答案を他の答案の上に載せた故事による。
 巻=答案。

泰斗(たいと)〈唐書〉
 泰山(たいざん)北斗(北斗七星)の略。これらは共に仰ぎ尊ばれることから、学問・芸術などの大家・第一人者。

弱肉強食〈文章軌範〉
 弱者の肉は強者の食物。強大なものが弱小なものを侵し、しいたげること。

生憎(あいにく・あやにくの変化)
 期待や目的にそぐわない様。

恙なし(つつがなし)
 うれいがない。平安無事である。

満を持す
 弓を十分引き絞って、今にも発射しようとかまえていること。転じて物事の極点に達して、そのまま
 保っていること。十分に準備して待機すること。

右に出る者なし
 その人よりも優れた人がいないこと。

一言半句
 わずかなことば。片言隻句(へんげんせきく)。

一長一短
 長所もあれば短所もあること。

一唱三嘆(いっしょうさんたん)〈礼記(らいき)〉
 宗廟(そうびょう=祖先の霊をまつる建物)の祭で、1人が歌い出すと、他の3人がこれに合わせて歌うこと。
 転じて、詩文を一度声に出して読んでから、くりかえし嘆賞すること。上手な詩文を誉めるのに用いる。

青雲の志〈滕王閣序〉
 巧妙を立てようとする志。立身出世しようとする希望。昔は隠遁への希望という相反する意味も持っていた。

百発百中〈戦国策〉
 矢を100度発射して100度とも的に命中すること。転じて、計画・考案などの全てが、適当で時宜に当たること。

至矣尽矣(至れり尽くせり。)〈荘子 斉物論篇〉
 至極に達して、すべてをつくしている。完全である。完備している。
 原文は、「至矣尽矣、不可以加。」(至れり尽くせり、以て加ふべからず。)

天衣無縫(てんいむほう)〈霊怪録〉 (類)天真爛漫(てんしんらんまん)
 天女の着物にはぬいめがない。転じて、詩や文章などに技巧の跡がなく、ごく自然に書かれていること。

割烹(かっぽう)
 割は肉を切ること。烹は煮ること。転じて料理をする意。日本では特に日本料理をいう。

破天荒〈北夢瑣言(ほくむさげん)〉
 荊州(けいしゅう)では、官吏登用試験を受けて合格したものがなく、「天荒」(人知開けない土地)と
 呼ばれていたが、劉蛻(りゅうぜい)がはじめて合格し、人々が彼を「天荒を破る者」と呼んだ故事から、
 今まで誰もやれなかったことをすること。前代未聞。

意味深長
 意味が奥深く、含蓄があること。

失言〈論語 衛霊公篇〉
 原文は「不可與言而與之言、失言。」(與(とも)に言ふべからずして之を言へば、言を失ふ。)
 言葉を交わしてはならないときに口を出すと、失言の過ちを犯すことになる。知者はそのような愚は
 しないものである。現在日本では言ってはならないことを言うことを表す。

古希(こき)〈曲江詩(杜甫)〉
 70歳。原詩は「人生七十古来希」(人生七十古来希(まれ)なり。)

食言(しょくげん・言を食(は)む。)〈書経〉
 自分の前に行った言葉を食べてしまう意で、それにそむき、それを実行しなこと。嘘をつくこと。

馬鹿(ばろく・指馬為鹿・馬を指して鹿と為す。)〈史記〉
 秦の趙高(ちょうこう・人名)が鹿を2世皇帝に献じ、馬であるといってがんばり通した故事から、おろかなこと。

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