健康・スポーツ科学実習

渡辺(修)教官。最後にレポート。

1.スポーツ活動の中で、勝敗をつけない、順位をつけないことについて自分の考えを論じなさい。

 僕はこの考えに反対です。それには大きく次の2つの理由があります。

 まず1つ目に、「順位をつけないこと」には、つけた順位によって人(特に幼稚園児・小学生)が序列化されて、(いじめに通じるような)好ましくない優越感を与えたり、抱く必要のない劣等感を与えたりすることを防ぐねらいがあると思います。しかしながら、現在の社会の中では、公然と力の大小による序列化が行われています。(会社における業績や、学校における学力はその最たるもの)「高校・大学入試において学力試験を受けるのだから当然だ。」という意見もありましょうが、学力については順位をつけてよいが、スポーツについては順位をつけてはならない、というのはおかしな話ではないでしょうか。

 人には誰にでも、長じた部分とそうでない部分とがあります。当然ながら、「勉強は得意だがスポーツは苦手」という子供もいれば、「勉強はあまり芳しくないが、スポーツでは傑出している」という子供もいるでしょう。そのような集団の中で、勉強における成績は順位となって示され、スポーツでは順位をつけないという方針が敷かれたとするとどうでしょうか。前者に属する子供は、勉強におけるよい成績が公表され、苦手なスポーツでの成績は曖昧にされますから、優越感に浸ることができるかもしれません。しかし、後者に属する子供はかわいそうなことになります。勉強ではよくできる子供たちに対して劣等感を持たされ、得意とするスポーツでは十分に評価してもらえないのです。これでは、とても「個性を尊重し、生かす教育」であるとは言えません。

 すなわち、「スポーツが得意」ということも個性の1つであるから、それを認める上でも、「スポーツ(だけ)で、順位をつけないこと」は好ましくないというのが、反対の第1の根拠です。

 2つ目に、「順位づけがスポーツ嫌いをつくる」という考えに対する疑問があげられます。もちろん勝敗を抜きにして楽しむために行われるスポーツもありますが、多くの場合スポーツは勝つことを目指して行われます。そして勝ってうれしいから、負けて悔しいからこそ得られる楽しさがあると思います。何をするにしても、それが楽しいかどうかはそれをしようとする意欲にかかっていると思います。そして、「勝ってうれしい」とか、「負けて悔しい」といった感情は、その意欲を強烈にかき立てる大きな要因であろうと思います。順位づけなくすことは、そのような意欲を奪うことであり、「スポーツ嫌いを減らす」という目的と逆行した行為であると考えられます。

 とはいえ、いつも負けてばかり、失敗してばかりでは意欲がわかなくなり、その結果スポーツ嫌いになってしまう、ということも考えられます。しかし以上のような理由から、これを解決するのに順位づけをなくすことをもってするのは、かえってスポーツが比較的得意な子供たちをスポーツ嫌いにしてしまう可能性をはらんでいます。そのため、スポーツが楽しいと思えるような他の工夫をした方がよいと思います。(様々な競技を実施する。チーム競技を多く取り入れる。など)

 以上2つの理由から、僕は順位づけをなくすことには反対です。「スポーツ嫌い」をなくすためには、もっと他の方策を講じるべきではないかと思います。


2.「スポーツを教えること」と、「スポーツで教えること」について、自由に論じなさい。

 「スポーツを教えること」とは、『スポーツの方法・技術をそのスポーツ(練習も含めて)を通して習得させる。』という意味を持っています。それに対して、「スポーツで教えること」とは、『何らかのことを、スポーツ(練習は含まれない場合が多いと思われる)を通して習得させる。』という意味を持っています。僕は、ここで大切なのは後者では学ぶべき内容が決められていないということにあると思います。つまり教える立場の人が、何かある特定のことを、スポーツを通して教えようとしていたとしても、教えられる側(学ぶ側)にある人が他のことを学びとる可能性もある。ということです。前者では学ぶ対象がはっきりしているのに対して、後者でははっきりしていないため、後者の方が、学ぶ側の進取性が大切になるとも言えるかと思います。

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